「平穏死10の条件」を読んで
私は医師である長尾和宏先生の「平穏死10の条件」胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?という本を知り初めて平穏死という言葉を知りました。
この本の中で平穏死とはその名のとおり「平穏に最期を迎える」ということです。自然に穏やかにあの世へ旅立っていく。と書かれ、そして平穏死についての長尾先生の思いが書かれています。その思いは医療現場を知り、在宅で患者さん、そしてその家族を診ていらっしゃるからのものでした。平穏死と尊厳死はほとんど同じ意味をもつもののようですが、言葉が身近に感じられるこの言葉を使っているということです。
死を言葉にすることは不謹慎?
日本人は死を前提に話をすることをあまり良いイメージと捉えないように私は思えます。
私自身も自分の死については家族に話せるのですが、実母、そして主人の両親には自分からその思いを聞くことができません。それはひとつ言葉を間違ったら死を待っているように感じられてしまうのが怖いからです。誰もがいつか来ることとは分かっていて、そして本人の気持ちを汲み、家族がその気持ちを受け入れるために必要だと分かっていても思いは複雑です。
話は少し変わりますが何年か前に一度こんな話を聞かされたことがありました。それは義理の母(姑)がもし自分が延命治療が必要になったとき、「体にチューブをつけられ、自分で呼吸ができないのに無理やり機械で生かさせられるのは嫌だからね。」という言葉でした。
義母に対して続く言葉がなかったことを思い出します。私が嫁という立場もあるのですが、その時は最期を迎えるということに私自身無関心だったのかもしれません。あの時もっと義母の話を聞き、いろいろな話しをしておけば良かったと今頃になって気付きました。
延命治療と平穏死できない現実
延命治療には人工栄養・人工呼吸・人工透析等があり、3第延命処置と言われているそうです。延命治療とは治癒を前提に処置するものとは違い、命をいかに長く繋ぐことができるかを目的としているものです。この本にも書いてありましたが、石飛幸三先生の言葉を借りて「8割の人は平穏死を望んでいるにもかかわらず、8割の人が平穏死できない」現実があり、その最大の理由は「平穏死できない現実を知らない」と書かれています。
■平穏死できない現実とは
- 延命治療は望まないと思っていても、急変時など病院に運ばれ、延命治療を家族が選択しなければならない場合、本人の意思と反することになってしまう場合が多い。
- 救急車を呼ぶということは、蘇生、それに続く延命治療への意思表示。
- 延命治療を始めてしまうと後でやめてほしいと思ってもやめることが困難である。
- 病院では医師は延命治療をしなければならないという医療の現実がある。
生きていても自分の最期を意思表示をするためにできること
リビング・ウィルとは
延命治療に関する自分の意思を元気なうちに書面で残しておくことで、生きていても意思表示できなくなった場合の自己決定権です。
この本の中に書かれていたリビング・ウィルのポイントは以下のとおりです。
- 人間としての尊厳を保って死を迎えるために、生命を引き延ばすだけの延命治療を拒否すること
- 自分の精神が健全な状態のときに書かれたものであること
- 不治の病にあり、末期状態にあるときに延命治療の拒否に効力を発揮すること
終活への私の思い
私は医療現場で多くの人が延命治療を受けているのを見ています。また、延命治療の決断しなければならない家族の方の話しも聞くことがあるのですが、この本に書いてあったように本人の意思表示がないまま、家族が決断しなければならないということが多いのも事実だと思います。
この本を読んで、今まで以上に終活に関することを多くの人に知って頂き、自分の意思を表示して最期を迎えてほしいという気持ちが強くなりました。
そして、その意思表示を書面にすることのお手伝いを行政書士として、今後やっていきたいことだということを改めて感じています。
また、終活フェアーなどの開催で広報活動にも力を入れてやっていければとも思っています。
記事:横山 弘美
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